フク兄さんとの哲学対話(42)ヘーゲル①弁証法哲学の早わかり入門

暑いさなかに、なんと、ヘーゲルの思想について語り合うことになった。ヘーゲルといえば難解な文章で知られ、まさに暑苦しいほどビッシリと細かに書き込んである著作ばかりなのだ。そんなヘーゲルの思想について、フク兄さんと真夏に語るというのは、ひとつの苦行になってしまうような予感がする。例によって( )内はわたしのつぶやき

フク兄さん おお、よく来たのう。この暑いなか、よく歩いてこられたのう。え~と、今回はヘーゲルさんじゃったかな。

わたし 今回はヘーゲルを取り上げるので、あれこれ準備をしているうちに時間がたってしまったんだ。昔に読んだせいもあって、思想の輪郭がすっきりと思い出せないんだよね。しかし、それは必ずしもヘーゲルの思想のせいではないんだ。彼の哲学をめぐっては解釈もたくさんあって、それがけっこうみんなバラバラなんだよね。

フク兄さん 名前は聞いたことがあるが、いったい何を言った人なんじゃ?

わたし いきなり核心に入られると、言葉が出なくなるけど、無理をしていえば「弁証法」という思考法を編み出した、あるいは弁証法で進展する精神と歴史の展開を発見した人といわれている。テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼとか、正・反・合とか言われるもので、人間の思考法から歴史の展開まで、この三段階で進むことを、彼の哲学体系は証明したということになっている。

フク兄さん たとえば具体的にいうと、どういうことかのう。

わたし 思考そのものでいえば、何かを見ると「ああ、こうだ」と人は思う。でも、それは単なる思いつきで、「はて?」と思い返してみる。そのことで「ああ、間違いではないが、もっと根は深い」と認識が高い段階に上がるというんだね。歴史については、歴史は人間の自由が実現していくプロセスで、それは古代より「民主制」「貴族制」「君主制」の順序で進んできたと言っている。

フク兄さん う~ん、よく分からないのう。とくに、後半の話はまったく逆じゃないかという気もするが、ともかく抽象的なので、さっぱり分からん。

わたし 実は、その「抽象的」という言葉にしても、ヘーゲルの場合は逆じゃないのかと思わせるような意味をもっている。毎日触れている個別のことは抽象的であって、いっぽう私たちが抽象的な言葉でしか表せないような複雑な現実は具体的だということになるんだ。

フク兄さん …………。単にヘソ曲がりなのかのう。(それはフク兄さんのことだろ)

わたし 実は、本人も「逆さまの世界」という言葉をつかったことがあるんだ。これは後に詳しく触れるけど。ま、こういう話をしていても仕方ないので、彼の生涯と業績について、順を追って話してみるね。そのほうが分かりよいかもしれない。ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、 1770年、ドイツ南西部シュヴァーベン地方にあるヴェルテンベルク公国の首都シュトットガルトに生まれた。当時、ドイツは神聖ローマ帝国と呼ばれていたけれど、「神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない」と揶揄されたように、小規模の国に分かれていて、ヴェルテンブルグもそのひとつだったんだね。

フク兄さん 例によって神童だったんじゃろうなあ……。

わたし それがそうでもないんだね。父親は政府の収税局職員で、ヘーゲルは中高レベルにあたるギムナジウムに入学して、当時の正規の教育を受けている。妹のクリスチアーネによれば「クラスで上位5番以内」を維持したらしい。ラテン語はすでに格変化などは知っていて、それは母親が教養のある女性で、子供のころから教えていたというんだ。13歳でその母親を亡くすという不幸もあったけれど、聖書や歴史、それにヘブライ語をよく学んだらしい。18歳でギムナジウムを卒業して、父親の方針で牧師になるためチュービンゲン大学で神学を学ぶことになる。しかし、牧師の資格はとったけれど、もう、そのころには本人は牧師になる気はなくなっていた。

フク兄さん 5番とか牧師とか、なんとなく地味じゃなあ。(ふんと、ふんと©)

わたし 当時のドイツで、彼が生まれた階層で牧師になるのは珍しいことではなかったようだね。しかし、神学を学んでいるうちに、将来を決めてしまうような、ちょっと変わった友人たちと付き合うようになる。シェリングとヘルダーリンで、シェリングはすでに何回か対話した天才肌の哲学者になる人物。ヘルダーリンはドイツのロマン主義を代表する天才詩人だよね。

フク兄さん 本人は神童ではなかったけれど、友人たちが神童というわけじゃな。

わたし ヘルダーリンとは同じ歳だったけれど、シェリングなんか5歳も年下だった。3人のなかでヘーゲルは地味な存在で、声がかすれていたこともあって「老人(デア・アルテ)」というニックネームで呼ばれていたらしい。「やあ、爺さん」てな感じかな。特にヘルダーリンとは仲がよくて、自分でも詩を書くようになる。すでに天才の片鱗を見せていたヘルダーリンに、ぬけぬけと詩を捧げたりしているけど、友情ゆえかヘルダーリンは喜んで受け取っている。

フク兄さん わしも若いころは異性から詩を書いた手紙をよくもらってのう、困ったものだった。ほっほっほ。(そんな話、これまで聞いたことがないけど)

わたし ん? フク兄さん、なにしてるの?

フク兄さん ほっほっほ、気がついたか。ぐび、ぐび、ぐび、旨いのう。この『三浦誉 大吟醸』は『雪の茅舎』で知られる秋田の斎彌酒造が、東京足立区の三浦工務店の特注で醸したお酒じゃ。なかなか手に入らない幻の銘酒といわれておるが、最近、とみに爽やかさと軽やかさをまして、心にしみる酒となったぞよ。ぐび、ぐび、ぐび、ぐび……ぷふぁ~!(でかい丼だなあ)

わたし いつの間に、ぼくがもってきた袋を勝手に開けたんだ。カミさんがわざわざ用意してくれたお土産だから、そのことを言ってから渡そうと思っていたのに。

フク兄さん な~に、お前が話すことに夢中になっていたから、ちょっと先行しただけのことじゃよ。ほら、おまえもこれで飲むがよいぞよ(わ、小さなぐい飲み)。

わたし おとととと………、ぐびぐびぐび、あ、ほんとだ、これは旨いや! なんか一段とうまくなったねえ。……さて、話を続けるけど、大学を卒業したのち、ヘーゲルはスイスのベルンで家庭教師の職を見つけた。学問を続けたい当時の青年は、裕福な家の家庭教師になって勉強するケースが多かったらしい。このころから、ヘーゲルは少しずつ論文を書き始めるようになる。新しい哲学の本も積極的に読んだ。このころはカントに取り組んでいたといわれる。

フク兄さん おお、カントさんか。懐かしいのう。人間は与えられた知性でこの世界を限定的に知ることができるが、神の叡智を人間が知ることはできないという話じゃったな。それでも人間には自由があって、道徳的な判断はできるとかいうことだったのう。

わたし おお! フク兄さん、よく覚えていてくれたねえ。カントを継いだとされるフィヒテは、人間の知性はもっと大きなもので、主観である自我(Ich)は客観である物自体をも飲み込むところまで行くと考えた。それに対してフィヒテから出発したシェリングは、だんだんこの説に不満をもって、フィヒテのように主観が客観を飲み込むと考えるのは間違いで、両者の根底には絶対的なものが存在しているという「同一哲学」に移行していくんだったね。

フク兄さん …………(あれ? 寝てるかな)おお、そうじゃ、そうじゃ、同一哲学でみんな一緒になるわけじゃったのう。(目をぱちぱちしてるな、もう眠いのかな)

わたし 哲学の歴史が急速に進んでいくんだけれど、この間、フランスでは革命騒動を収拾したナポレオンが台頭して、ヨーロッパに覇を唱えようとし始めている。激しい時代の流れのなかで、哲学も急速に変わっていくと見たほうがいいかもしれない。ヘーゲルはベルンから、ヘルダーリンが家庭教師をしていたフランクフルトに移って、ここでも家庭教師をやりながら、1779年に習作時代の代表作とされる「キリスト教の精神とその運命」を書き上げている。ユダヤ教を憎悪の宗教と捉えて、それに対しキリスト教が登場して愛を説くといった構図のものだった。これは「愛による運命との和解」という有名なフレーズで知られている。

フク兄さん …………ZZZ,ZZZ。(やれ、やれ)

わたし いっぽう、この時代にヘルダーリンは『ヒューペリオン』や『エンペドクレス』など、古代ギリシャにテーマをとった代表作を、どんどん発表していくんだ。ところが、家庭教師をしていた家の夫人を恋するようになり、無理やり引き裂かれて流浪のはて、1802年ころには発狂してしまう。もちろん、ヘーゲルは強い衝撃を受けたようだ。

フク兄さん ZZZ,ZZZZ,むにゃ。

わたし やれやれ、ちょっと長くなりすぎたかな。でも、もう少し切りのいいところまで話をしてしまうね。ヘルダーリンが悲劇的な運命に遭遇したころ、ヘーゲルも自分の運命と格闘していた。このころヘーゲルはシェリングの伴走者として、あるいは本人の言葉でいえば「一人の弟子として」論文を書いていた。そのひとつが1801年の「フィヒテとシェリングとの哲学体系の差異」で、フィヒテの自我哲学を退けシェリングの同一哲学を支持するものだった。ところが、1805年、イエナ大学の助教授として迎えられると、それまでの考察を大部の一冊にまとめ上げる。これが翌年の『精神現象学』だった。

フク兄さん ………………、あ! それはわしも名前は知っているぞ。聖心女子大学じゃな(わ、急に目を覚ますなよ。聖心? 何いってんだ?)。

わたし この最初の本格的著作は、ヘーゲル独自の思想的位置を打ち立て、それから構築される彼の哲学体系の透視図にもなっている作品だった。ただし、生活状況が最悪で原稿を書いた分から印刷所に回したといわれるように、推敲や再検討がほとんどないままに活字になったとされる。すでに結婚していたヘーゲルは、お金にかなり困っていたという話も伝えられているんだ。

フク兄さん ああ、それは気の毒な話じゃなあ。哲学者は独身が多いのに、このヘーゲルさんは結婚していたんじゃな。結構、結構。(まだ、寝ぼけているなあ)

わたし そうなんだ。最後に『精神現象学』の哲学史的な意義だけ述べておくね。シェリングの同一哲学では、主観と客観の根底に絶対的なものが不動で控えていた。しかし、ヘーゲルにいわせれば、それはまるで「闇夜の牛はみな黒く見える」というようなもので、何も論じたことになっていないというわけなんだ。同一哲学の何がおかしいかといえば、根底にある絶対的なものは不動とされているが、もし、この世に正しいことがあるとすれば、それは常に動いているべきだ、というのがヘーゲルの主張だった。すでに多くの研究者が指摘してきたように、ヘーゲルにとって真理とは動いているものであり、この世に真理があるとすれば、それは、真理は変化するものだということに尽きるというわけだ。これこそが彼の弁証法哲学の核心といってよい。では、どのようにして変化するのか。そして、それはなぜか。次回は難解で知られる『精神現象学』が、何を言っているのかをじっくり考えてみよう。

フク兄さん ……………。う~ん、酒による運命との和解なら、いつでもいいぞよ。

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