フク兄さんとの哲学対話(38)フィヒテ後編:ドイツの再興を支えた後半生
前回はフク兄さんがわたしの仕事場に来てくれたので、今回はこちらからうかがうことにした。フィヒテという名前は知られているけれど、何を言った人かはあまり知られていない。この哲学者が何を語ったのかを、さらに話し合うことになっている。もう関東は梅雨入りしたけれど、今日は晴れてくれたのでほっとした。例によって( )内はわたしの独白。
フク兄さん おお、よく来たのう。雨が降るとの予報があったが、まだ、いまのところ晴れておる。今日の話はフィヒテさんの続きだったと思うが……(お、ちゃんと覚えているじゃないか)。
わたし そうそう、言っていることは、それほど難しいことじゃないけれど、それがどんな意味をもっているのかは、その前後の哲学史を振り返らないと分かりにくい人だよね。
フク兄さん ほっほっほ、含みの多い発言をしたがる人間は多いが、フィヒテさんはそういうのでもなさそうじゃのう(あ、ぼくが持っている紙袋をちらちら見ているぞ)。ま、ゆっくりと話してみようかのう。
わたし 前回はフィヒテが初等学校にも入れてもらえない、きわめて貧しい紐職人の子として生まれながら、たぐいまれな記憶力と情熱でもって、独自の「自我の哲学」を確立するまでを論じ合った。今回はその後の彼の哲学の展開と、フィヒテの政治へのコミットメントについて考えてみたいんだ。
フク兄さん たしか、フィヒテさんの哲学というのは、カントさんから出発しながら、かなり異なる「イッヒなんとか」とかいわれる説を唱えたとかいう話じゃったのう。
わたし え~と、イッヒ・フィロゾフィー、つまり自我(イッヒ)哲学と呼ばれるんだけど、カントはこの世界そのもの(物自体)と人間の知性(認識)を分けて考えたのに対し、フィヒテはそれをイッヒ(わたし)という概念でひとつに統一しようとしたんだ。簡単にいうと、普通、イッヒというのは「私」だけれど、その根底には絶対的なイッヒ「絶対自我」があって、ものを認識したり、判断をしたりするのは、実はこの絶対自我に根拠をもっているという説だった。
フク兄さん ということは、絶対という限り、神さまということになるのかのう?(お、ちゃんと前回の話が頭に残っているぞ)
わたし そうそう、フィヒテは絶対自我と神は違うと言っていたのだけれど、絶対的な根拠ならば、神あるいは神と同等になるよね。ところが、フィヒテは神じゃないとあまり強調したものだから、無神論の疑いをかけられてしまった。面白いのはここからで、ちがう、ちがう、と言えば言うほど、フィヒテ自身も神と信仰について考えざるをえなくなり、1800年に刊行した一般向けの著作『人間の使命』では、ほとんど神に対する信仰告白を述べることになったんだ。
フク兄さん 変なやつじゃのう。そんなら、最初からそういえばいいのにのう。……あ、ところで、その袋じゃが、めざわりじゃのう。なんとかできんものか?(つまり、持ってきたものを出せというわけか)
わたし あ、これ? かみさんがフク兄さんに持っていけというので、けっこう重いのをもってきたんだよね(少しは恩を着せないとね)。ほら、これだよ。
フク兄さん おお、澤乃井の辛口ではないか。そんなら最初からいえばいいのじゃよ。ほほほほほ、これはありがたいのう。東京が誇れる絶対的な日本酒じゃ。お前には過ぎた嫁じゃのう。これこそ東京の酒の根拠といってもよい。さあ、これに注いでもらおうか(あ、やっぱり大きなドンブリがでた~!)おととととと、こぼすでないぞ………ぐびぐびぐびぐびぐび、ぷふぁ~~~~~っ! これは文句なしのうまさじゃ。この酒のために青梅があるといえる(青梅市の皆さん、ごめんなさい)。さあさ、お前にも飲ませてやろう(ぼくが持ってきたんだけどなあ。あ、なんて小さなぐい飲みだあ!)。
わたし おととと、ぐびぐびぐび、ぷふぁ~! おお、この洗練度はすばらしい。東京の誇りだなあ。……さて、フィヒテの『人間の使命』なんだけれど、最後の第三巻が「信仰」に充てられている。ここで信仰は知識に対して優位にあると論じるわけだけれど、「信仰は知識に初めて賛同を与え、信仰なしには単なる錯覚であるかもしれないものを、確実性と確信に高める」と、信仰なしには知識は役立たないことを指摘している。
フク兄さん ほう……ぐび、ぐび、ぐび、ああ、旨いのう。
わたし フク兄さん、ちょっとペースが速くないかな。……フィヒテはここで、食べ物があるから空腹をおぼえるのではなく、空腹をおぼえるから食べ物が目的になるように、自分が行為をしているがゆえに、あるものが目的となると語っている。そして、この行為をさせているものが意志なのであって、意志は超感性界の法則なのである、というわけなんだね。ここらへんは、根拠を示しながら説明するというよりは、どんどん言い切って論じている。
フク兄さん お酒があるから飲みたくなるのではなくて、飲みたくなるからお酒が目的となるというわけかのう。ま、そのお酒の銘柄が提示されなくとも、飲みたいという気持ちが先行するというのは、わかる、わかる。銘柄がよければ、なおよいのう。ぐび、ぐび、ぐび………。
わたし ここらへんは、まず人間の生きようとする実存があって、その次に自分が何者であるかが分かるという、初期の「自我の哲学」の延長線上にあるようにも思われる。ともかく、信仰から生まれる意志が人間を行動に駆り立て、そのことで何事かを達成させているんだという、いわば信仰に支えられた行動主義を語っているわけなんだ。自分の全確信は信仰つまり心情から来るのであって、悟性から来るのではないとも述べている。
フク兄さん 自分がやりたいようにやって、実はそれは信仰に支えられているから、ちゃんと神さまの目的とか意図にかなっていることなのかのう。ぐび、ぐび、…………
わたし 神のことを「汝」と呼んでいる部分があるけれど、自分の自由というのは、神の前では無意味になるといっている。「自由な活動というものも、汝と相対しては、空虚な言葉となる。もはや自由は存在しない。汝だけが存在する」というわけだね。つまり、ここでは神とひとつになるから、自由という概念はなくなるというわけなんだ。本当に自由なのは、私にささやき命じる神だけだということなんだろうね。あれ? フク兄さん、フク兄さん………寝ちゃったのかな。無理ないよな、あのペースだもの。
フク兄さん …………zzzzz、zzzzz
わたし こうした信仰の告白のような著作以降は、「後期の哲学」とされて、哲学史ではあまり取り上げられることはないけれど、この時期から、実は、政治的な活動は加速的に盛んになっていくんだね。同じ年に『閉鎖された商業国家』を刊行するけれど、ここではナポレオンのヨーロッパ大陸支配にも、また、大英帝国の世界経済支配にも従わない、独自のドイツ国家を成立させる構想を述べている。
フク兄さん ……あ、寝てはいないぞ、え~と、ナポレオンじゃな。わしはブランデーが好きではないが、ムニャムニャ………(こりゃ、もうだめだな)
わたし フィヒテはこの本では、国家が貿易を支配して、国民経済を外国から守って、国民福祉を高めるといった主張なんだね。研究者によっては、これをフィヒテの「社会主義国家」と呼んだ人もいる。アナーキーな経済を国家が仕切って、国民の福祉を向上させようというのだからね。1806年になると、ナポレオン軍がベルリンを占領したので、反ナポレオンのフィヒテは家族を残してケーニヒスベルグに移り同大学教授になる。しかし、講義もしないうちにフランス軍に同市も占領されてしまったので、しかたなくベルリンに戻っている。
フク兄さん ……ああ、よく寝た。目が覚めたぞ。(あ、前両脚を踏ん張って伸びをしているよ)それで、フィヒテさんはベルリンでどうするのじゃ?
わたし そこで1807年12月から翌年3月まで続けたのが『ドイツ国民に告ぐ』という連続講演だったんだ。フランス軍が占領していたから、もちろん危険が伴っていたけれど、ベルリン市民に「外国人たちの目を通してではなく、自分の目でドイツを正視せよ」と訴えたんだね。ドイツが持つべき教育、経済、軍事などについても、滔々と述べ続けた。なかでも「自由になれ」という訴えは反響が大きかったといわれる。「人間としての自覚をしっかりと持つこと、それが本当に自由になることだ」というわけで、それはフィヒテの後期思想ともつながっているけれども、同時に、フランスから自由になろうとのメッセージと受け止めた人も多かったはずだね。
フク兄さん ひゃ~、それはかなりアブナイ講演だったわけじゃのう。
わたし 最後の回では「幸福を取り戻せるかは、それぞれの心にかかっている。それぞれが、たとえたった一人でも大地の上に立って、それぞれのやり方で格闘しない限り、幸福は取り戻せない」と語っているんだね。フィヒテは名アジテーターでもあったわけだ。こうした言動もあって、フィヒテは1810年にベルリン大学教授に推されるが、すぐに翌年同大学総長へと押し上げられている。
フク兄さん いよいよ、フィヒテさんの栄光の時代がやってきたわけじゃな。
わたし しかし、それは長くはなかったんだ。敵も多く総長は1年ほどでやめているし、その後、ナポレオンとの戦争が激しさをまして、気丈な奥さんは傷病兵の看護にあたるようになる。ところが、チフスに感染してしまい、フィヒテは妻の看護をすることになる。やがて妻は回復するのだけれども、こんどはフィヒテがチフスに感染してしまい、疲労していたせいか悪化して命を失うこととなってしまうんだね。
フク兄さん なんとも劇的な最期じゃのう。フィヒテさんの哲学のほうは、なんだかよくわからなかったが、この哲学者が天才的な記憶力の持ち主で、天性の情熱家だったことは、ほんとうによく分かった。
わたし そういう側面は確かにあるけれども、哲学史上でも実は大きな影響を残しているんだね。それは次回に語り合うシェリングという哲学者や、そのあとに控えているヘーゲルにも大きなインパクトを与えたんだ。それは次回からの話になるけれど。付け加えておくと、フィヒテの自我の哲学に最も激しく批判を加えたのは、20世紀に危機の神学を代表するバルトだった。彼は神と自我を同一のものとする説に強く反発した。「彼の神は人間であり、人間は神なのだ」と慨嘆している。また日本でフィヒテの思想と行動を高く評価した政治学者に南原繁がいる。彼は日本の戦後復興期にフィヒテを研究することで、その情熱に少しでも近づこうとしたのかもしれない。
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