仮想通貨の黄昏(2)お金の起源論には注意が必要だ
これまでの歴史を振り返ると、沈滞した経済を活性化させるという触れ込みで、新しい貨幣を導入するさいには、必ず貨幣の歴史が見直しされる。その見直しが歴史的事実や論理に基づいている場合もあれば、実は創作された物語や怪しげなロジックによって説明されることもある。仮想通貨においても、その登場のさいには新しい技術だけでなく、将来の通貨となるという物語が、声高に述べられたことは記憶に新しい。
仮想通貨の創成期における新技術の導入は語りつくされた感があるので、ここではビットコインを中心とする仮想通貨の誕生が歴史的必然だったと示唆する、仮想通貨の文化人類学および考古学について見てみよう。その例として、まず、サトシ・ナカモト財団が推奨しているニック・ザボの「シェリング・アウト:通貨の起源」を取り上げてみたい。
ニック・ザボは、日本ではそれほど知られていないが、一時はサトシ・ナカモトその人だと目された人物である。コンピュータ技術に通じるいっぽうで、法学も正式に学んで大学で教授を務めてきただけでなく、ビットコインに先行して独自の仮想通貨を提案したこともある。こういう知識人こそ、サトシ・ナカモトではないかと疑われる資格は十分だった。そのニック・ザボが2002年に公開した論文「シェリング・アウト」では、文化人類学、考古学、歴史学を駆使して、通貨の起源を多元的に探究している(シェル・アウトとはシェル=貝から来た言葉で、大金を払うという意味)。
たとえば、文化人類学に登場するアメリカ・インディアンの貝殻玉のネックレス(右写真)や、紀元前4000年と推定されるケニヤで発掘された駝鳥卵の殻でつくったビーズ。紀元前2800年ころと推定されるシベリア発掘の動物の骨・牙製のネックレス、西太平洋の儀礼交換クラで使われたネックレス。さらには考古学が見出した古代シュメールの紀元前3000年推定の貝貨、同紀元前2500年の銀リングや貝リングなどが紹介され、そうした「収集物」で作られた「通貨」の人類史における意味が論じられるのである。
この議論のなかで、ニック・ザボが重視するのはゲーム理論で、とくにドーキンスの『利己的な遺伝子』をゲーム理論で再論したジョン・メイナード・スミスの論理を用いて、人間の原初的な通貨が大きな飛躍を生み出したと指摘する。端的にいってしまえば、ザボは未開や古代に見られる収集物から作られるネックレスが、ホモ・サピエンスに過酷な生存競争を生き延びさせたというのである。
彼によれば、未開や古代のネックレスが、集中的な労力を必要とする製造と、常に相手を見出してやまない交換を通じて、初めは家族単位の自己保存という利己的な交換行為を可能にした。やがてそれは、遠く離れた地域の人間の集団との交換に拡大していくなかで、利他的な側面を生み出していったと主張している。
この論文では明示的には論じられてはいないが、サトシ・ナカモト財団の推奨論文になっているように、この貝や骨や銀でできている装身具が、通貨となってネットワークを作り出していくさまは、ネットワークのなかで交換される仮想通貨の原初的な形態であることを示唆していることは間違いない。そしてまた、この論文はビットコインが急速に注目されていくなかで、あたかも仮想通貨の未来を予測しているかのように読まれた可能性は大きい。
しかし、この貨幣通貨起源論には、ビットコインが現実には投機対象の格差拡大装置となっているという嫌悪すべき事実を措くとしても、いくつかの問題があることは明らかだ。まず、ニック・ザボはネックレス型やリング型の通貨は取り上げているが、ほかの形状をもつ通貨の場合はどうなるのだろうか。たとえば、大きな石貨とか鳥の羽でつくるベルト状の貨幣はどう考えるのか。また、貝貨や動物骨や貴金属のネックレスが、どうすれば現在の貨幣へと発展していったかについては、ほとんど何も述べていない。
ただ、ザボが示唆しているのは、いわゆるコモディティ・カレンシー(商品通貨)の理論家だった、カール・メンガーの『通貨の起源について』に触れることで、通貨の自生的起源論の視点から論じていることが明らかだ。つまり、仮想通貨が目指す「政府なき貨幣」への繋がりを示唆していることは読み取ることができる。
問題はこれだけではない。ザボは古代シュメール出土の貝リングや銀コイルを、何のためらいもなく「通貨」と呼んでいるが、これは現在のメソポタミア考古学からすれば、通貨でないものを通貨と呼んでいることになる。古代シュメールの貨幣は粘土板に楔文字で記録された数値だったというのが、かなりの数のメソポタミア考古学者の通説だからである。
気づいた人もおられるかと思うが、このメソポタミア考古学の常識は、実は、仮想通貨と並んで、いまの通貨論のもうひとつの論争の中心であるMMT(現代貨幣論)が拠って立つ根拠というべきものである。つまり、MMTが奔放なまでに財政支出の無限定性あるいは恣意性を強調するのは、貨幣の起源をシュメールの粘土盤上の数値であるとして、現代の表券主義(通貨であるか否かを決めるのは政府だと考える)こそ、その正しい貨幣論の後継だとしているからだ。
多少、脱線するが成り行き上、MMTの貨幣論について多少触れておくことにしよう。ランドール・レイが『現代通貨を理解する』を刊行した1998年に、彼が表券主義を主張する根拠としたのは、主にG・F・クナップの貨幣国定説、A・ミッチェル=イネスの信用理論、J・M・ケインズの『貨幣論』など、どちらかといえば異端的な貨幣論を論拠としていた。
それは、メソポタミア考古学が遺跡からコインを発見できないことも背景になっていたが、この事実から経済人類学者カール・ポランニーのように、古代メソポタミアは実物主義(サブスタンティビズム)の経済だったという結論に至った論者もいた。メソポタミア考古学の知見がMMTに決定的な影響を与えるのは、近年になって発掘された粘土板の楔型文字から、ローン、負債、利子といった言葉が正確に解読できるようになってからだった。
そうした解読から、先駆的に大胆な解釈を展開したのが、アメリカのマルクス主義者マイケル・ハドソンである。いまやMMTファンの若者たちは、ハドソンは考古学者だと思っているが、もともとは、いわゆる反体制知識人のひとりで、金融負債への疑念から古代メソポタミアの研究に向かった人物である。
この大胆なハドソンの論文やシンポジウムから、ランドール・レイは自分の主張の根拠を得たが、2011年になると文化人類学者のデイヴィッド・グレーバーが『負債論』を刊行する。グレーバーはハドソンの主張と自らの文化人類学者の知識と、アナーキストとしての立場から、人類の歴史を負債の歴史と解釈し、そこからの脱出という、かなり強引だが面白い本に仕上げた。もちろん、リベラル左派の近所づきあいもあったと思われるが、レイやステファニー・ケルトンは、グレーバーの本を参考文献として提示するようになる。それは別に構わないが、理論上は、ちょっとだけ問題があったことは後に述べる。
さて、ハドソンとグレーバー(左写真:昨年死去)は博識な知識人だが、プロパーの考古学者ではない。彼らの議論の根拠となったのが、コロンビア大学の中東考古学者マルク・ファン・デ・ミーループだった。ミーループは楔型文字の粘土板から、次々と記録として根拠のある事実を解読したが、大きな業績はいつから古代シュメールで「ローン」の概念、言い換えれば「負債」の概念が登場するかを、BC3200年までさかのぼって突き止めたことである。
あんまり長くなると読みづらくなるので、ミーループの発見は短く書くが、2005年の論文「利子の発明 シュメール人のローン」のなかで、BC3200年と推定される粘土板には「ウル」という言葉が登場し、大麦の貸借の話が出てくるという。ウルはBC2000年代になると利子の意味をもつので、ウルの意味が変わってしまった可能性はないことはないが、これが負債のもっとも古い記録だと示唆している。
さらに、BC2400年と推定される粘土板の記録には翻訳すると「40グラムの銀と900リットルの大麦をピュツァ・エシュタルがウル・ガリマに借りている」という記録が出てくる。これは集団での貸し借りだと思うが、個人間のものかもしれないとも記している。こうした記述は、たとえば、「銀を何グラム、物品をどのくらい受け取ったが、これは後に返済する」といったローン契約と同じと考えてよいのではないかと説明している。
なぜ、こんなことをわざわざ述べているかというと、MMTの輸入元のなかには、マイケル・ハドソン経由で得たランドール・レイたちの解釈をそのまま鵜呑みにしてか、「メソポタミアでは粘土板上の数値以前にお金の概念は存在しなかった」と断言している人もいるからだ。しかし、ミーループの記述を読めば(写真は彼の論文から)、粘土板に書かれた数値以前にコインはなかったとしても、価値の測定単位はすでに銀と大麦であった可能性は残る。大麦については計量ポットがあったことが知られている。しかも、少し前までは個人用の単位を測る天秤が出土しないことをもって、個人レベルでの銀のやりとりはなかったとされてきたが、ミーループは40グラムの銀のやりとりが個人間のものであったかもしれないと述べているのである。
マイケル・ハドソンはその大胆な記述に特色があるが、発言においても幅があるので気を付けたほうがいいかもしれない。とはいえ、肝心かなめの点はぶれないだろう。2002年ころのミーループたちとの座談会で、「メソポタミアではコモディティ・マネー(商品貨幣)はあったが、クレジットの仕組みとギリシャのようなコイン鋳造はなかった」と発言している(ハドソン&ミーロープ編『古代中東の負債と経済改革』)。つまり、レイたちが依拠していた人物は、商品貨幣が存在することを漠然と認めていたことになり、これは商品貨幣の存在を認めないMMTの貨幣理論とは、実は、かなり違っているのだ。
では、グレーバーはどうだろうか。アナーキストだけあって、ときどき、アナーキーな飛躍は大きいが、しかし、文化人類学者としての厳密性は守っている。『負債論』の第4章はいきなり次のような文章で始まる。「お金を商品のように考える人と信用だと考える人がいる。どっちが正しいか。それは両方である」。これはお金の起源を考えても、また、歴史を振り返っても妥当な答えだろう。
さらに、グレーバーは金や銀が価値の基準になるのは、全史においていたるところで見られる現象だとも述べている。興味深いのは、人類史において金属貨幣つまり商品貨幣と信用貨幣は交互に支配的傾向を見せたと述べて、ダイナミックに負債の人類史を語っている。それなのに、なぜ、MMT(と、そのエピゴーネン)は、グレーバーの文献を根拠のようにしながら、メソポタミアが表券貨幣だったと断言して、それが全史を通じての本質のように言いたがるのだろうか。グレーバーが言っているのは、広義の「貨幣」を介しない「物々交換」はなかったと言っているにすぎない。
もちろん、欧米では今もミーループなどの従来の解読に基づいて(彼は入門書の記述を最新版でも変えていない)、銀や大麦が価値の単位になっていたことを可能性として留保しつつ、基本的にシュメールの通貨は粘土板上の数値の移動だったとしている。ところが、2014年、トルコの代表的考古学者ハヤット・エルカネルが、今から5000年前(つまりBC3000年ころ)のシュメール文明には、銀の通貨が存在していたと講演して、この分野に関心をもっていた専門家に衝撃を与えた(写真はシュメールの銀リング:ニック・ザボの論文から)。
「最初に作られた貨幣の材料は、金、銀、その他の金属のリングだった。それらは発展するなかで同じ材質の金属棒(インゴッド)になっていった。それ(リング)はシュメール遺跡で発見された最初の貨幣ユニットである」
その後、このシュメールの貴金属リングについての研究が、欧米でどのように評価されたかはよくわからない。しかし、興味深いことに、どうやらザボの論文が修正されないままであることを考えると、仮想通貨論者たちはいまもこの説に重きを置いている可能性は高い。今後、貴金属リングの通貨が大量に発見されないかぎり、この説が主流にはならないだろうが、少なくとも価値の基準としての貨幣の先駆的状態としては否定できないのではないか。
ここで仮想通貨の理論家であるニック・ザボに戻るが、彼がシュメールの貨幣を銀のコイルとしたのは、エルカネルが注目した銀のコイルと同じものが根拠であり、その意味では決して思い込みで述べたのではなかったことが分かる。ただし、だからといってニック・ザボによる仮想通貨の未来予測が正しかったと思う人はいないだろう。こうした貨幣の起源論とゲーム理論から導き出した仮想通貨の未来は、いまや彼を裏切って大きく変わろうとしている。
何よりも大きな変化は、いくつもの国家政府が仮想通貨ではなく、ブロック・チェーンの技術を取り込んだ「デジタル通貨」を計画するようになったことである。そこでは仮想通貨の技術は生きることになったが、もともと仮想通貨の発想の中核にあった「発行所がない」「中央政府の支配なし」というアイディアは無残に否定されている。それはフェイスブックのデジタル通貨でも同じで、ひたすら「国際決済を安く早く行う」という側面が強調されている。
そして何よりも大きいのは、サトシ・ナカモトやニック・ザボが夢見た(とされる)、自発的な人間の交換という営みが、利己的利益を超えて利他的利益を実現していくというアイディアが消滅していくことだ。しかも、もし各国政府のデジタルマネーが実現したとすれば、そのマネーには履歴がつくことになるわけだから、実は、中央政府あるいは中央銀行の管理と支配は強くなるだろう。
ユートピアを目指してディストピアに至るとまでは言わないにしても、ローマ時代に起源をもつ「お金には匂いはない」という諺に見られる貨幣の融通性や中立性も失われる。少なくとも巨額の取引に使われる政府のデジタル通貨は、トレース可能の履歴がしっかりと刻まれるはずで、これは「お金に匂いをつける」ような行為といえる。
こうなれば、デイヴィッド・グレーバーの夢であった、人間が「負債」のない社会で生きるという話も、もうどこかに行くわけで、ここに至ると人間には「原罪」があって、それが貨幣の「起源」だという説が正しかったという事態になりかねないのである。貨幣の起源を探求するのは好ましいかもしれないが、そのさい、自説に有利な仮説を拾い集めても、貨幣の本質どころか今起こっている現象すらつかめなくなる危険がある。
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