フク兄さんとの哲学対話(10)ジョルダーノ・ブルーノの火刑は地動説のせいではない

いろいろ突発的な出来事があって、フク兄さんとの対話が延期になったりしたが、今回も対話は、わたしの郊外の仕事場で行われることになった。もう、すっかり冬の景色になっているなか、やってきたフク兄さんはけっこう元気だった。例によって( )内はわたしの独白。

フク兄さん 久しぶりじゃなあ。最近は、次の「フク兄さんとの哲学対話」が待ち遠しいと頻繁にいわれるので、わしもこれまではしぶしぶ応じてきたのじゃが、今回はこちらから提案させてもらおうと思ってやってきたのじゃよ。

わたし それは、それは。(なんだか、悪い予感が……)

フク兄さん このあいだ、デカルトという人の話をしたのう。あの人は近代哲学者の先駆者じゃが、同時に光学や物理学を研究した科学者でもあったといっておったな。これまで世界をどう考えるかは、哲学と宗教が担ってきたとわしが喝破したことがあったが、科学も同じ役割をしておるような気がするが、どうじゃ?

わたし え~と、そうフク兄さんがいったのは第1回だった気がするけど、(ま、よくいわれることだけど)、科学が世界観を担うようになったというのも、近代の特徴かもしれないね。ぼくらは、ニュートンとかアインシュタインとかが描いた世界あるいは宇宙を念頭に、自分が生きている空間と時間をイメージしているのはまちがいない。

フク兄さん そうじゃろ、ほっほっほ。

わたし 西洋哲学史で科学が世界観に大きく影響を持つようになったのは、コペルニクスからだといわれている。それまで宇宙は、地球を中心にして太陽、月、星などが回っていると考えられていた。天動説だね。それに対してコペルニクスは太陽を中心に、地球や惑星がまわっているんじゃないかといいだした。この地動説がコペルニクスに始まったというので、哲学者のカントは自分の哲学も同じような転換をもたらすというので「コペルニクス的転換」と呼んだし、1970年代にトマス・クーンという科学史家は、こういう大きな世界像の転換を「パラダイム・シフト」と名付けたんだ。

フク兄さん あ、その「パラダイス」とかいうのは、よく聴くのう(パラダイム、だよ)。

わたし このトマス・クーンが最初に取り組んだのはコペルニクスで、彼の最初の本『コペルニクス革命』のなかに2回くらい「パラダイム」という言葉が登場する。ただし、コペルニクスは聖職者で、必ずしも彼がカトリック教会と論争して、地動説を広めたというわけではなかったんだ。その後、ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンが、もっと整合性のある議論に仕上げていくのだけれど、いちばん激しく教会と論争したのは、ジョルダーノ・ブルーノだった。

フク兄さん ほほう~、ブルーノさんか。なんか名前からして怖そうじゃな。

わたし カトリック教会の公式の見解は、もちろん天動説であって、地球が中心にあって太陽とか月とか星が周囲を回っていることになっていた。それは神さまがそのように創造したという教義だから、コペルニクスがいくら観察にもとづいて、「でも、天動説では惑星があるところにくると、行ったり来たりする動きを説明できません」といっても、地動説を認めるわけにはいかない。しかも、コペルニクスの段階ではデータが整っていなくて、古いデータには間違いも多くあったのに、それを採用してしまっていたりしたんだ。

フク兄さん それで、そのブルーノさんはどうしたんじゃ?

わたし 実は、ジョルダーノ・ブルーノはコペルニクスのことを、あまり高く買っていなかったともいわれる。少なくとも、宇宙について語るにはデータとか数学では不十分だと思っていたらしい。ブルーノが問題にしたのは、宇宙が有限か無限かといった観念的な思想であって、必ずしもデータから割り出される惑星軌道の整合性ではなかったんだね。

フク兄さん ええ? それでどうして地動説が正しいといえたのじゃ?

わたし 彼は新プラトン主義の哲学や古代ギリシャの哲学を援用している。コペルニクスの地動説に対してカトリックが激しい反発をしたのは、もちろん教義上の問題だったけれど、ちょうどこのころプロテスタントとの抗争が続いていたからでもあったといわれる。教会と別の世界観を主張する奴は悪魔だというわけだ。よく知られているように、ブルーノは最終的には異端審問によって1600年、火炙りの刑に処せられる。刑場でブルーノはカトリックの聖職者たちにむかって、「震えているのは私ではなく、真実を前にして戦慄しているあなた方ではないか」と言い放ったといわれる。でも、この火炙りの刑は地動説を唱えたからではなく、「父なる神、子なるキリスト、そして霊は一体である」という「三位一体」を批判するような、彼の多くの神学上の異端的解釈だったんだ。「怖いのは事実ではなく観念である」というのは、ここでもあてはまるんだね。ぼくたちが「科学が現代の世界観を支配している」というときの科学も、実は、科学という名のイメージなのかもしれない。

フク兄さん あのな、弟よ、そろそろじゃな。あれ、あれじゃよ。

わたし あれ、だね。……今日は、これにしたよ。

フク兄さん おお、「大七」ではないか。福島は二本松の銘酒じゃ。……おっととと、グビグビグビ、ぷふぁ~! これはいい。鄙にはまれな洗練された酒じゃ。二本松の高い文化度がわかるのう~。

(20分後、路上で)

わたし ジョルダーノ・ブルーノは、子供のころから大秀才で、とくに記憶力がすぐれていたらしい。ただ、神童によくあることだけれど、自信がやたらと強くて、凡庸を憎んだともいわれている。17歳でドミニコ修道会に入って修道士になり、ヨーロッパ各地の言葉を自由自在にあやつり、ギリシャ語、ラテン語に通暁していたらしい。……あ、兄さん、大丈夫? 外を歩きたいといったのはフク兄さんなんだからね。

フク兄さん おお、大丈夫じゃ。ほろ酔いで歩くと、冷たい空気がここちよいのう。

わたし もう、冬枯れだけれど、このあたりは春になると桜がすばらしいんだよ。……で、ブルーノはヨーロッパ中を回って大学に職を得ようとしたんだけど、その異端的な見解ゆえに、なかなか教授にはなれなかった。例外的にウィッテンベルグ大学では一時的に教授をやっているけれどね。1600年に火刑に処せられたので、ガリレオは異端審問のさいに、自分の見解は間違っていると口にして生き延びる道を選んだ。また、ガリレオの異端審問について知ったデカルトは、書いていた『宇宙論』の出版を取りやめたといわれる。

フク兄さん ………。(なんだか、もじもじしているな)

わたし 何だか落ち着かないね。大丈夫? ……さっき取り上げたトマス・クーンはブルーノについて「彼はよくいわれるような科学の殉教者ではない。しかし、かれはコペルニクスの見解は自分の新プラトン主義やデモクリトス的な見解と同じものだと考えていた」と書いているんだ。標準的な科学史でも、たとえばバターフィールドは「ブルーノは科学者というよりも、詩人の名残をとどめている宇宙論を唱えた」なんて述べている。……あ、フク兄さん、こんなところで駄目だよ、あああ、……ほんとに困るなあ。誰かに見られたらどうするんだ。やれ、やれ。

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