フク兄さんとの哲学対話(1)哲学することと世界の形成とか

 フク兄さんは「わたしの兄」である。しかし、どう考えても血はつながっていないし、また、法律上の義兄でもない。おぼえているのは、ある日、ネット上にわたしの兄として登場したということだけである。以下、( )内はわたしの内面のつぶやきである。

わたし フク兄さん、サイト上に兄さんとの対話を連載することになったんだけど、うまく対話できるか、まったく自信がない。でも、努力はするから、よろしくお願いします。

フク兄さん おお、わしも急なことでとまどっておるのじゃが、まあ、かわいい弟のためじゃ(ほんとは違うんだけどなあ)、なんとか応えてみようとおもっとる。しかし、それにしても、哲学対話というのは大げさじゃのう。

わたし いや、おおげさでもなんでもなくて、本当に哲学的な対話をしてみたいとおもっているんです。ひところ、出版界で哲学ブームなんてのがあったけど、実態は哲学本ブームだったんだよね。昔の哲学者の言ったことをあれこれ解説する本を読もうということで、みんなで哲学をやろうというわけじゃない。

フク兄さん ほっほ、そんなこと当たり前じゃ。だれも好んでこむずかしいことを考えようとは思わんからな。わしも厭じゃ。

わたし だけど、もともと哲学というのは、この世はどうできあがっているのかとか、人間はどういきるべきかとか、身の回りから世界や宇宙、さらにはあの世まで考えるということで、日常生活とべったりとくっついているわけ。

フク兄さん だから、みんな厭なんじゃよ。それこそ、いちばんかったるい。お前の言っていることは、かしこそうでちっともかしこくない。おしめが取れたころからの、気のきいたことを言おうとする癖は、まったく治っていないのう。

わたし あの、おしめとかなんとか、それはともかく(そんなもん、見てないだろが)、兄さんのいうことも分かるよ。実は、いちばん肝心なことだから、いちばん厭なんだよね。どこのケーキがおいしいとか、スマホの機能がどうだとかは、いくらでも楽しく話していられる。でも、肝心なことは、ほんとうはいつも分かっていないといけないのに、真剣に対決するのはかったるいんだ。

フク兄さん だから、わしは厭だけど、おまえのたってのお願いだから、しかたなく応じることにしたというのが本音じゃ。ま、そのつもりで話してみようかの。

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