ゆっくり考える

なにごとにつけ、早いほうが勝ちとされますが、ここでは時間制限はありません。掲載された文章を読みながら、あれこれ考えを巡らしてください。(東谷暁)

 ゆっくり考えれば、いい結論に到達できるというのは、むかしから言われていることです。いまさら繰り返す必要もないように思われます。しかし、こんな自明の教訓が、しばしば破られてきたのが人間の歴史というものなのです。

 まず振り返ってみるべきは、何かを決定するときに、どのようにして失敗してしまうのかということでしょう。感情的なレベルでいえば、あわててしまったということです。落ち着いて考えるのがいいことは分かっていたけれど、時間がないためや周囲にせかされたために、本来の判断力が発揮できなかったというケースです。 

 この「いそいでしまった」と「本来の判断力」との違いは、近年、ダニエル・カーネマンという心理学者によって、きわめて整合性をもって説明されています。いそいで考えたときを彼は「ファスト」と呼び、ゆっくり考えたときを「スロー」と呼んで区別しているのですが、それはここに掲げる図によって説明されます。

 知覚とそれに基づく直感の場合には、速いのですが現在の刺激に制約されます。それに比べて推論は遅いのですが過去・現在・未来をつなぐことができるとされています。この説明は、普通の人間にとっても理解しやすく、納得のいくものです。

 しかし、実際にわたしたちが判断をするとき、自分がどこまで「ファスト」で、どこからが「スロー」なのかとなると、この境界についてはなかなか分からない。構図としてはカーネマンの説でいいのですが、この境界を認識するのを邪魔をするのは何なのか、そこまで考えておくべきでしょう。

 古い名前ですがショーペンハウアーという哲学者は、人間が判断を間違えるひとつの大きな原因は「結果から原因を導きだす」からだと言っています。つまり、目の前の事態を推論のすべての前提としてしまい、その事態を起こした原因をかなり強引にひきだしてしまうというわけです。

 おそらくカーネマンの図式を受け入れたとしても、目の前の事態への対応だけがその人の頭を支配していると、判断の過程においてふたたび知覚と直感にたよるという過ちに陥ってしまうことは、けっして少なくないと思われます。

 わたしたちが「ゆっくり」考えようとした場合にミスをおかしやすいのは、「速い」と「遅い」の一次的な構図にあるのではなくて、むしろ、自分がいま「知覚」で判断しているのか、「直感」に頼っているのか、あるいは「推論」の過程にまで達しているのかの判断を、しばしば間違うことにあるのではないでしょうか。(つづく)

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