フク兄さんとの哲学対話(37)フィヒテ前編:学歴ゼロだった若者が「自我の哲学」を確立する

今回は、それほど間をおかずにフク兄さんと対話できそうだ。しかも、どういう風の吹き回しか、わたしの仕事場に出向いてくれるというのだ。フク兄さんはのたのたのたと歩いてやってきたが、さてどうなることやら。例によって( )内はわたしの独白。

わたし いらっしゃい、フク兄さん。桜はほとんど散ってしまったかもしれないけど、川べりの道は気持ちよかっただろう?

フク兄さん おお、そうじゃった。何本かまだ桜の花がちろちろとついておったし、ともかく風が爽やかで、こういうところに住んでいる人は本当に幸せじゃのう。(それほどでもないと思うけれど)

わたし さて、今回はフィヒテという哲学者なんだけど、日本の高校世界史の教科書にも出てくる人物だから、ベルリン大学の初代総長になり、ナポレオンに占領されているときも、『ドイツ国民に告ぐ!』という、国民を鼓舞する連続講演を行ったということで知っているかもしれないね。

フク兄さん ほほう~、フィヒテさんは政治家なのかの?

わたし いやいや、若い人はあまり読まなくなっているけど、一時代を画した哲学者で、実は哲学史上はかなり大きな役割を果たしているんだね。

フク兄さん どんな哲学を説いたのじゃ?

わたし それはこれから話していくことにして、まず、前回までのカントとの関係から始めるね。ある日、晩年のカントのところに、論文の束が送られてきた。それはカント哲学は誤解されているから、自分が訂正すると宣言した、明らかに若者らしい情熱に満ちた論文だった。カントはこの論文をちょっと読んだだけで、けっして凡庸ではない才能を感じて、自分のところに来るように勧めた。

フク兄さん 天才は天才を知るというところかのう。

わたし 実はカントは全部を読んでいなかったけれど、それは彼にはよくあることで、自分の著作は何度も読み返すくせに、他人の論文はあまり熱心に読まなかったといわれるんだ。ま、ともかく、若者がやってきて、いったことは「金を貸してください」だったんだね。

フク兄さん 変な奴じゃのう。カントの哲学者としての名声は知っていたんじゃろから、まずはカントと哲学的な話をするのが普通だと思うがのう。

わたし もちろん、そうしたかったんだけど、このころ家庭教師のアルバイトもクビになっていて、生活に困っていたことはたしかなんだ。カントもあきれたと思うけれど、その論文を出版してくれそうな本屋を紹介してあげたのだから、やっぱり実践倫理的にも立派な哲学者だといえるよね。

フク兄さん ところで、その若者が論文で書いていた内容は何だったのじゃ?

わたし カントの最後の回で話したけれど、カントの宗教論について踏み込んだもので、タイトルは「あらゆる啓示の批判の試み」だった。つまり、この世界には絶対的な存在が控えているが、それは人間の知性では分からないということだね。ところが、このフィヒテの論文では、人間には神を啓示で知ることはできないという側面が強調されている。そこでカントに紹介された本屋は、この論文を匿名で出版したんだ。ところが、これが逆に注目されて、かなり売れた。

フク兄さん たしかカントさんはプロシャの王様に、宗教について論じることを禁止されたのじゃったのう。

わたし そうそう、そんな事情もあって、本屋さんは注意深かったとされる。しかし、実は、この本屋さんは論文のレベルが高いことを知って、これを匿名で出せばカントの著作だと誤解する人が多くなり、そのお陰で当たるかもしれないとの思惑があったともいわれる。かなりのバクチ的出版だったというわけだ。しかし、あまりの売れ行きにカントは危険を感じたのか、これは自分の著作ではなく、フィヒテという青年のものだと公表してしまった。それがかえって油を注ぐ結果となって、この本とフィヒテへの注目度はますます上がったので、派手なデビューをとげることになったわけなんだね。

フク兄さん よっぽど恵まれた星の下に生まれた若者だったのじゃなあ。

わたし それが社会的および経済的にはまったく悲惨だった。父親は紐作り職人だったが、子だくさんで生活に追われ、長男のフィヒテは初等学校すら入れなかった。ただ、抜群の記憶力があり、教会で牧師の説教を聞くと、ほぼ丸ごと暗記することができた。

フク兄さん ひゃ~、それはすごいのう。

わたし まるでスタンダールの『赤と黒』に出てくる主人公ジュリアン・ソレルのような才能だけれど、最近は特殊能力として備えている人が、ときどき存在することが分かっているようだね。さて、フィヒテはある出来事のおかげで教育を受けるきっかけをつかむ。フィヒテ一家が住んでいた村には素晴らしい説教で知られた牧師がいて、その説教をぜひ聞きたいとある男爵がやってきたが、そのときには説教は終わっていた。がっかりする男爵に「それならフィヒテの長男に聞けばいい。丸ごと覚えているはずだ」と助言する人がいた。それで半信半疑ながらフィヒテを呼んで聞いてみると、これが驚くべき記憶力であることが分かった。さっそく男爵はフィヒテを連れて帰って教育を受けさせたというわけなんだ。

フク兄さん 何だか映画の『グッド・ウィル・ハンティング』の主人公のようでもあるのう。

わたし あ、そうそう、よく覚えていたねえ。あの映画のマット・デイモン演じる主人公ウィルは、ものすごい記憶力と数学の才能があるんだけど、幼児期の体験のために性格的に問題があり、掃除のアルバイトかなんかで孤独な生活しているんだね。え~と、話がそれてしまったけれど、フィヒテに戻すと………。

フク兄さん ちょっと待った。話が本筋に戻るまえに、ちょっと休息したほうがいいぞよ。大事な話はリラックスしたほうが、よい展開が期待できるからのう。(あ、きたきた)

わたし え~と、八海山の本醸造ならあるけど、これでいいかな(あ、またまた大きな丼! どこに隠していたんだ)

フク兄さん ほっほっほ、これに注いでおくれ。おっとととととと、もっと遠慮せずに、もっと、よしよし。いい香りじゃなあ。……ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび……ぷふぁ~、あいかわらずすっきりとしみ通るのう。さあ、お前もどうだ(これは、僕の酒なんだけどなあ)。

わたし じゃ、このぐい飲みで。おとととととと……、ぐび、ぐび、ぐび、ぷふぁ~! ほんとに旨いなあ。さて、フィヒテはこの本の成功で新進の哲学者として注目され、しがない家庭教師業から抜け出し、イエナ大学の教授に抜擢されるんだけれど、その間に親しくなった4歳年上の女性と結婚して、私生活のほうでも安定を得られるようになっていくんだね。

フク兄さん おお、スポーツ選手とか芸能界では、やんちゃな性格の男性は年上の女性と結婚することが多いが、ま、それと似たようなものかの。

わたし え~と、ま、そういえないこともないけど、ともかく、フィヒテはカント哲学を元に独自の哲学を構築していくんだね。カントのところで不思議に思った人も多いと思うけど、『純粋理性批判』で、物自体と呼ばれる世界は知性では知ることができないとされていた。知性(悟性)では現象しか分からない。ところが、『実践理性批判』になると物自体あるいは超感性的世界からの形式を通じた示唆を受けられることになる。さらには『判断力批判』になると「美」や「崇高」を感じることが、すなわち純粋理性と実践理性をつなげる役割を果たすことになる。

フク兄さん カントさんは別にそれが不都合だとは考えていないらしいがのう。

わたし そうなんだけれど、『実践理性批判』を書いた後には「この分野を語るにあたっては、知性を捨てている部分がある」との意味のことを述べたことがあった。フィヒテはこの煮え切らない部分を克服することが、カント哲学を完成させることだと思ったらしい。まず、『知識学への第一序論』では、哲学には観念論と独断論があり、物自体を捨てれば観念論となり、知性を捨てれば独断論になってしまうと指摘している。そして、自分の立場は観念論であると宣言している。

フク兄さん …………(あ、目がとろんとしてきた)

わたし その後の『全知識学の基礎』では、カントが曖昧にしていた純粋理性と実践理性を結びつけるのは「絶対自我」であると言い出す。絶対自我は実は倫理道徳の基礎になっているともいっている。この「自我」はフィヒテの場合にはドイツ語の「Ich(イッヒ)」であって「ego(エゴ)」ではないんだね。この「イッヒ」はすべての人に備わっているが、それが十分に発揮できていない。

フク兄さん あ、そのイッヒを十分に発揮するとどうなるのじゃ?(あれ、まだ寝ていないのか)

わたし ちょっとはしょってしまうと、この個々人の「イッヒ」は、すべてに共通した「絶対的イッヒ」から生じているもので、カント哲学に当てはめれば、純粋理性と実践理性との両方を結び付けているものだというんだね。カントが物自体あるいは超感性界と呼んでいた世界は、この絶対的イッヒと一致している、そう考えることで倫理をめざすカント哲学には、矛盾はなくなるというわけなんだけれど、かなり独断的に決めつけている感があるような気もするけどね。

フク兄さん う~ん、……独断的じゃ………ZZZZZ,ZZZZ(あ、やっぱり寝てしまった)

わたし このようにフィヒテが『実践理性批判』で論じられた倫理道徳を中心にもってきているのは、もともとフィヒテの性格がそうだったともいえるけど、カント哲学を勉強するさいに、まず第二批判の『実践理性批判』から始めて、次に第三批判の『判断力批判』を読み、最後に第一批判である『純粋理性批判』と取り組んんだことと、関係があるような気がするね。

フク兄さん …………ZZZZ,ZZZZ,ZZZZ.

わたし こうしたフィヒテの「自我の哲学」は、最近はサルトルの実存主義の哲学と比較されることがある。サルトルは「実存は本質に先立つ」と断じて、人間の本質は投企あるいはアンガージュすることで生じると主張したけれど、実は、フィヒテが昔に「自我の哲学」でいったことと似ているというわけだ。

フク兄さん う~ん、……先立つ不孝をお赦しください………むにゃ、ZZZ,ZZZ,ZZZ(なんじゃ、そりゃ)

わたし しかし、フィヒテの「自我の哲学」は、次第に変貌せざるを得なかった。カントのいう実践理性と純粋理性に通底しているのが「絶対自我」だというのは、いちおうの説明にはなっているが、それは絶対的だというのだから、まさに神そのものではないかとの指摘がなされるようになる。フィヒテはそれを最初は否定したが、やがてヨーロッパはナポレオン戦争に巻き込まれ、フィヒテの愛してやまないドイツも大混乱の時代を迎える。そのなかで、この「絶対自我」が宗教的な色彩を濃くしていくんだ。それは後編にゆっくり話すことにするね。(もう、ピクリともしない。絶対睡眠の状態にはいっているな、これは)

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