フク兄さんとの哲学対話(41)シェリング後編:神はどうやって「憧憬」と「自由」をもつのか
またまた前回との間が空いてしまったが、これも世界情勢が急激に変化しているからなのだ。でも、フク兄さんは不機嫌になっているに違いない。そこで今回もかみさんに頼んで調達してもらったお酒を携えて、こちらからうかがうことにした。例によって( )内はわたしの独白である。
わたし いろいろあったので、ちょっと間が空いたけど、今日はシェリングの最終回ということで、対話を続けたいと思っているんだけど。(お、フク兄さんの目が、もっている紙袋に向いている)
フク兄さん ほっほっほ、お前も忙しいようじゃな。まあ、いいことじゃ。さて、今回は誰だったかな。あんまり間があったんで、ちょっと記憶が定かでなくなったぞ。たしか……、シェリーさんという名前を憶えているが。
わたし え~と、シェリーんぐ、だよね。シェリングについては、前回話したように、有名な哲学者ヘーゲルが登場するお膳立てをしたような紹介のされ方をしてきたけれど、それなりに独自の思想を展開した哲学者だと、再評価されるようになっているんだ。いよいよ、今日は、その部分から始めて、晩年の思想にいたりたいんだ。
フク兄さん おお、それはいい。……え~と、思い出したぞ、シェリーさんは「神が創ったはずのこの世に、なんで悪が存在するのか」を論じた人じゃったな(覚えているじゃないか)。ほっほっほ、こう見えても、わしはちゃんと昔のページは読んでおるのじゃよ。
わたし それなら話が早いけど、その「なぜこの世に悪があるのか」を論じたところにこそ、シェリングの独自性があるといっていいんだね。前回も取り上げたけど、その問題を探求した『人間的自由の本質』から始めると分かりやすい。
フク兄さん 期待が生まれるのう。何か新しい体験をしそうじゃなあ。(ま、お酒のことを言っているんだろうけど)。
わたし シェリングは、神は主観と客観の根底にある絶対的なものだと認識していたけれど、しかし、その絶対性は、この時点では、すべての根底にある不変のものではないと思うようになった。考察された神は神として実存しているけど、その実存を生み出す根拠がなければならない。しかし、その根拠というのは人間によって考察された神とは違うものだというわけなんだね。
フク兄さん ………。
わたし え~と、つまり、神というものは内部に異質なものを含んでいる。その異質なものは神に含まれているけれど、人間がそれまで考えてきた神とは異なっていて、その異質な部分がごそごそうごめいて、そこに悪の生まれる理由もあるのだが、結果としては絶対的な神として実存するということになるというわけなんだ。
フク兄さん つまり神さんは2つの部分を持っているけど、見た目では1つだということじゃな。そこで悪が生まれる余地ができるということかのう。
わたし そう、そう、そんな感じなんだね。しかも、その分裂を生み出しているのは、神が自由だからなんだという。自由な神は自分自身を求めて憧れをいだく。シェリングは憧憬(ゼーンズーフト)という言葉を使っているけれど、ま、人間でいえばある種の衝動なわけだね。「それは、永遠なる一者が、自分自身を産み出そうとして、感じる、憧憬である」と述べている。
フク兄さん ふむ、ふむ。(うなづいているけど、ほんとに分かっているのかな)
わたし 自由な神が自身を明確に啓示するため、つまり自分であろうと憧憬を抱いてうごめく。そのため、人間はそのうごめく部分に影響をうけて「自分が中心だ」という錯覚をもつ。その衝動から人間社会の悪が生まれる、というわけなんだ。「罪の開始は、人間が、本来的な存在から非存在へ、真理から嘘へ、光から暗闇へと、踏み入って、みずから創造する根拠になろうとし、また人間が自分のうちにもつ中心の力によって、あらゆる事物の支配者となろうとする、ということにある」というわけなんだ。
フク兄さん 人間でなくとも、自分が中心だと思うことで、多くのトラブルが生まれるからのう。それが自制できるのは、わしくらいにならないと不可能じゃよ。ほっほっほ。(何言ってんだか)。ところで、その袋の中のものが、憧憬をもって外に出たいと言っておるぞよ。
わたし あ、これか。かみさんが持たしてくれたんだけれど、ほら、銘酒朝日山だよ。地元では久保田千寿を買わないで、この朝日山を呑むというのが常識だと、新潟に講演に行ったとき聞いた覚えがある。これは、大手スーパーに納品している、お手頃価格の特別版だと思うけどね。
フク兄さん おお、なんと、なんと、久保田を世に送り出した朝日山酒造の本貫というべきお酒じゃ。さあ、注いでおくれ(わ~、でかいドンブリだあ)。お、ととととと、おお、いい香りじゃなあ。……んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、ぷふぁ~!おお、なんともいえん。これは朝日山であって、もはや朝日山ではない。なるほど、なるほど、近年、同じ新潟県の銘酒八海山が、スーパーマーケット戦略でお手頃価格の八海山で売上を上げてきた。その対抗策として、この中瓶の朝日山は存在するようになったとわしは推測するぞよ。
わたし なんだ、なんだ? 朝日山にも自らに対する憧憬があったというのか。
フク兄さん 朝日山酒造は久保田という高級イメージの銘柄で成功したかに見えたが、そのいっぽう、久保田万寿は高すぎないかとの批判もあった。しかし、ライバルのヘーゲル、もとい、八海山の新展開の刺激を受けて、これまでの朝日山がより高いレベルに、しかも、値段を吊り上げないで、生まれ変わったのじゃよ。朝日山はあるべき朝日山でありたいという憧憬を梃にして、久保田千寿以上の新・朝日山となった。ああ、旨いのう! ………(もう、ほとんど陶然としてしまってるよ)
わたし あっけにとられていたけど、ぼくも少し飲もう。あれ? もう瓶が空じゃないか、そんな馬鹿な。フク兄さん、フク兄さん、朝日山をどこへやったんだ。
フク兄さん …ZZZZ、ZZZZ。(あれあれ、完全に眠っている)
わたし しょうがないなあ、ぜんぶ自分だけで空けてしまったのかあ。まだ、シェリングについては話すことがあるから、もう、全部一気にしゃべっちゃうね。シェリングは『人間的自由の本質』で新境地に至ったといわれるけれど、それからも独自の哲学を追求して、さらに神の絶対性をもっと強調するようになるんだ。そのきっかけが『哲学的経験論の叙述』といわれる著作だったといわれる。この著作で、シェリングは理性的立場から非理性的立場に向かったとされる。ちょっと駆け足になったけれど。
フク兄さん ………、千寿も万寿もいらない、朝日山でいい。むにゃ、むにゃ。
わたし え~と、シェリングはこの『哲学的経験論の叙述』のなかで、さらに視点をひろげて神の超越性を語るようになるんだ。そこで挙げているのが、三つないしは四つの原理なんだね。第一の原理と呼ぶのが客観で、自然と呼んでもいい。ここには限界性はないとされる。第二の原理が主観で、これは人間の理性といってもいい原理で、さまざまな考察によって自然に限界性を加えようとする。ここまでは以前の議論と同じといってよいんだが、ここからが違う。
フク兄さん ……………ZZZZ、ZZZZ。(よく寝ているなあ)
わたし さらに第三の原理を加えて、これは第一の原理と第二の原理の相互の働きだと説明している。そして、それらを超えている原理として、第四の「原因」を論じている。これはすべての原因だというのだから、神というしかないのだけれど、シェリングによれば、プラトンやピタゴラス学派では、こうした第四の「すぐれた意味での原因」がすでに考察されていたのだという。「原因、ないし神は、それ故、その本性上、自らは限界づけれられないものとして、他のすべてを限界づけているわけで、われわれは今までのところ、これ以上のことを想定する権利を何ももっていない」などと論じている。何をいっているかというと、世界はこの四つの原理で動いているが、特に他のすべての「原因」となっている神が、どのように存在しているかを自分は見出したわけで、神の存在のありかたを、解明したのだということを宣言しているんだね。
フク兄さん 弟よ!(わ、急に起きるなよ)ちょっと酒が足りないようだから、朝日山か八海山を追加で買ってきておくれ。なんだか心が寒いのじゃよ。(なにいってんだよ、自分が全部飲んだくせに)
わたし もう少しシェリングの話をしたいんだけどなあ。……でも、いいか、僕も飲みたいから、ちょっと行ってくるね。特別版の朝日山があるといいけど、ないときは八海山、あるいは東光でも……。それからもう少しシェリングについて語りたいなあ。(朝日山酒造さん、勝手なことを言ってすみません)
フク兄さん シェリング? だれじゃそれは?(わ~、もう忘れてしまったんだ)。でもシェリーさんなら、よ~く知っておるぞよ。
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