フク兄さんとの哲学対話(12)スピノザ後編あるいは歓喜の歌

ほんらい、2月中にスピノザの後編としてフク兄さんと対話する予定だったのだけれど、新型コロナウイルスの流行や世界的な株式暴落があって、ついつい、先延ばしになってしまっていた。今回はフク兄さんの仕事場のひとつである、都内の有名ホテルのレストランで会って、すぐに前回の続きを始めた。いつものように( )内はわたしの独白である。

フク兄さん いや~、ここでお前と対話することになろうとは、思ってもみなかったぞ。新型肺炎とかでお客も心なしか少ないが、ま、場所としては悪くない。さっそく、スピノザさんの後半を語ろうか。

わたし 前回はスピノザの人生を簡単に紹介したのだけれど、今回は彼の主著である『エチカ』という本を中心に話したいと思っているんだ。フク兄さん、この『エチカ』って知ってる? 倫理という意味だけど。

フク兄さん う~ん、知らんなあ。ペチカだったら聞いたことがあるが。ペチカ燃えろよお話しましょ~♪とかいう……(ま、そうだろうなあ)

わたし スピノザが、この世界そのものが神なんだと考えたことは、前回述べたとおりなんだけど、それが日本人が考えているような「八百万の神」とか「木の葉の影にもカミがおわす」とかいったものではなく、この世界、もっといえば宇宙が神そのものということなんだね。

フク兄さん そう考えるのはスピノザさんの勝手じゃが、どうしてそんなことが言えるんじゃ?

わたし そこなんだよ、彼の哲学の面白さあるいは奇妙さは。まず、神の存在証明をやってみせているんだけど、それがユークリッド幾何学と同じやり方でやると宣言して、いきなり、「自己原因」とはその本質が存在を含むとか、「実体」とは他に依存していないもののことなんだとか言い出す。

フク兄さん ほう、またしても数学・幾何学の類なのか。

わたし もちろん、三角形の内角の和とか、三角形の辺の二乗について論じているわけではなく、まず用語の定義を述べ、公理を提示し、定理を立てて、それを次々に証明していくという、哲学の本としてはかなり異様な書き方をしているんだ。しかも、定理を証明したあとに、必ず「かくして、この定理は証明された」なんて書かれてある。

フク兄さん ふむ、ふむ。(あ、目が泳いでる。なんだ? 向こうの若い女性を見ているぞ。しょうがないなあ)

わたし なるだけ、かいつまんで説明するけど、実体つまり物事の本質というものがあるとして、それは他に依存しているものではないとすれば、無限で永遠でなくてはならないというわけだ。しかも、そんなものがあるとすれば、それは「神」と呼ばれるべきもので、無限で永遠なんだから、世界そのものあるいは宇宙そのものに他ならないことになる。

フク兄さん それはまた途方もないことをいうんじゃな。そこまで言ってしまえば、なんでもアリになるのう~。(まあ、そうなんだけど、途中の論理展開が重要なんだよね)。

わたし それで、たとえば定理11は「神、つまりおのおのが永遠で無限の本質を表現する、無限に多くの属性から成り立つ実体は、必然的に存在する」というわけで、人間でも犬でもネコでも、無限に多くの属性をもっている神から出てくることになる。

フク兄さん ということは、わしもスピノザさんの「神」から出てきたことになるわけじゃな。つまりは、わしも神の一部ということかのう、ほっほっほ。

わたし あっさりといってしまえば、そうなんだね。しかも、スピノザは人間が精神的な物事を考えるさいに用いる観念も、自然のなかにある事物と対応しているという。人間が自分たちは自由に精神活動を行った気になっていても、実は、その観念は自然つまり神のなかの事物と並行して生まれてきたものなんだ。

フク兄さん あ~、なんだか壮大なようで、ややこしいのう。……やはり、ちょっと小休止して、気合をいれるべきじゃな。ここは、日本酒は何があったかな。

わたし ええっ、ここは高いからなあ~。(しかたないなあ)え~と、久保田よりは八海山にしておこうか。……くれぐれも飲みすぎないようにね。

フク兄さん おお、もう来た。おっとととと……、うぐ、うぐ、うぐ(ああ、また、一気に飲むんだから)、ぷふぁ~、高級ホテルで飲む酒はうまいのう~。

わたし こんなふうに、スピノザは神と精神について証明していくんだけど、特に面白いのは、人間の行動というのは「衝動」なんだと言ったことだ。しかも、その「衝動」というのも神から来ているんだから悪いことではないというんだね。

フク兄さん ほ~、それはまた寛容なことじゃなあ。お、とととと……。

わたし 人間の行為や感情を動かしていく衝動は、たいがいの場合、いけないこと、あるいは抑えるべきことだとされるよね。ところが、スピノザは衝動は悪いどころか肯定されるべきものとして捉えている。もちろん、それが神からくるものだから、善いとか悪いとか論じるべきものではないからなんだ。

フク兄さん それは賛成じゃな、ヒック。お前は、わしが酒を飲むのを悪として抑えようとするが、わしは神の一部であって、酒を飲みたいという衝動は善いことじゃぞ。(めずらしく、論理的にしゃべっているなあ)

わたし ややこしい幾何学みたいなスピノザの哲学は、意外にも、自然そのものである神を通じて、人間の奔放な活力を肯定することになるわけなんだ。しかも、個々の人間の努力も、永遠の自然のなかで位置付けられるから、みじめな人生を送ろうとも、必死に努力することは、実は、神の一部として肯定されるんだね。

フク兄さん おお、ヒック、わしも何だかスピノザさんのペチカが、好きになってきたぞよ(エチカだよ)。お~い、もう1本持ってこい(ああ、高い酒を勝手に頼むなよ)。

わたし こうした傾向もあって、スピノザの哲学には歴史的に意外なファンが多かったんだ。まずゲーテだけど、彼はロマンチックな自然観をもっていたので、スピノザの自然に感動した。ニーチェはまさに「善悪の彼岸」である意志の肯定を見出し、「これは私の哲学だ」と歓喜して友人に手紙を書いている。フロイトも自然の奥底からくる衝動という観点に精神分析の先駆をみた。

フク兄さん ………

わたし さらに、物理学者アインシュタインは、スピノザが神を自然そのものと捉えていることに驚嘆した。アインシュタインは量子力学のニールス・ボーアとの論争で、確率論を導入したボーアに「神はサイコロを振りたまわず」と反論したけれど、このときの「神」とはまさにスピノザがイメージしていたような神だった。……あれ、フク兄さん、寝てしまってる。

フク兄さん zzzz、zzzz

わたし やれやれ、しょうがないなあ。……定理;フク兄さんは酒を飲むと、わたしのいい話の途中でも寝てしまう。証明;目の前のフク兄さんを見よ。かくして定理は証明された。

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