今週の女優 吉行和子

このページは、内海陽子の『女優の肖像 その2』から、ひとりの女優をえらんで掲載しています。おなじく『女優の肖像 その1』のページもごらんください。

秋山庄太郎『女優の肖像』より

 東京の有楽町に「旧・日劇」があり、その地下に「アートシアター日劇文化」があった一九七〇年代のある日、わたしは地上へあがる階段で吉行和子とすれ違った。さっぱりした白いシャツとスラックス姿の彼女は、そそくさと地下へ消えていき、わたしは映画少女のようなその細身を見送りながらぼ~っとなった。

 彼女の著書「老嬢は今日も上機嫌」(新潮文庫)には、なかなか渋い外国映画の話が出てくる。『アバウト・シュミット』(2002・アレクサンダー・ペイン監督)は、定年後のわびしい時間を持て余す男(ジャック・ニコルソン)の物語。『夜顔』(2007・マノエル・ド・オリヴェイラ監督)は、カトリーヌ・ドヌーヴ主演『昼顔』の後日譚という設定の男女(ミシェル・ピコリとビュル・オジエ)の再会の物語。彼女は穏やかな筆致でそれぞれの映画の味わいを伝えてくれる。

 そして夏になると思い出すという『八月の鯨』(1987・リンゼイ・アンダーソン監督)は、往年のスター、リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィス主演の年老いた姉妹の物語。「こんな映画をいつの日か冨士真奈美と撮りたいものだ」と語る吉行和子は『ウール・100%』(2005・富永まい監督)で岸田今日子と共演。浮き世離れした雰囲気のゴミ屋敷で暮らす老姉妹を、いとも楽しげに演じてみせた。

 吉行和子、冨士真奈美、岸田今日子は「三人旅」で知られる友人同士である。三人で初めて行ったスペインで、吉行和子は行きたいところとしてバルセロナを選んだと著書「質素な性格 欲は小さく野菊のごとく」(講談社)に記している。

 となればぴったりなのは『それでも恋するバルセロナ』(2006・ウディ・アレン監督)だろう。バルセロナを訪れた二人の女性が、男性画家(ハビエル・バルデム)と恋愛関係になり、そこへ画家の元妻(ペネロペ・クルス)が現われ、混戦模様になる。吉行和子には、ぜひこのエキセントリックな元妻を演じてもらおう。

 そして次は『ローマでアモーレ』(2013・ウディ・アレン監督)だろう。愛にあふれた街でいくつかの恋と人生が交錯する群像劇だ。陽気な娼婦に扮したペネロペ・クルスが、うっかり新婚カップルの部屋に闖入して新郎を狼狽させるシーンがある。無邪気を装ったなまめかしさを、細身の吉行和子ならどう表現するだろうか。

 秋山庄太郎ならではの黒バックに包まれた吉行和子の頤は、まことに品よくなまめかしい。ふっくらした口元から、少ししゃがれた甘い声が聴こえる。何も語らなくても、彼女は見る者の想像力をやさしく刺激する。

 いっぽうで、「何だか面白そう!」と思うのが女優としての原動力だと語る彼女は溌剌たる少女のままだ。『人生、いろどり』(2012・御法川修監督)は、夫(藤竜也)に仕える貞淑な妻が、葉っぱビジネスに乗り出して成功するまでのお話である。「人生は毎日新しいのよ」。そんな声がふんわり聴こえてきて、わたしは勇気づけられる。

(2013・7)

内海陽子『女優の肖像 その2』では70人の女優について語っています。さらにお読みになりたいときは、下のボタンをクリックしてください。

『女優の肖像 その2 70人の強かな女たち』Kindle版 (この部分をクリック)