今週の女優 田中裕子

このページは、内海陽子の『女優の肖像 その1』から、毎週ひとりの女優を選んで文章を掲載しています。おなじく『女優の肖像 その2』のページもごらんください。

秋山庄太郎『昭和の美女』より

 田中裕子の〝瞬き〟は男をおののかせる。明るい表情を封じて彼女が静かに瞬くとき、居心地の悪い思いをしない男はいないだろう。『いつか読書する日』(2005・緒方明監督)の田中裕子は、市井に生きる五十代女性の胸のときめきを、冴えた〝瞬き〟に託して男に届けるのである。

 このおそろしいような〝瞬き〟を、彼女はいつ身につけたのだろう。『北斎漫画』(1981・新藤兼人監督)だろうか、『ザ・レイプ』(1982・東陽一監督)だろうか、『天城越え』(1983・三村晴彦監督)だろうか。葛飾北斎の娘に扮して老け役までこなしても、レイプされた娘に扮して裁判でさらし者になっても、伊豆の天城で無実の罪に問われる娼婦に扮しても、彼女には惨めな被害者の表情がなかった。

 彼女は屈辱の思いをぐっとのみこみ、長い時間をかけて身体中にめぐらせ、被害者感情ではなく、冴えた攻撃力に換える。置かれた状況が、いびつであったり悲劇的であったりすればするほど、彼女の攻撃力は増す。そしてそれは映画の力に変換されていく。

 そのせいか、彼女の穏やかな笑顔というのは意外にインパクトがないのである。『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(1982・山田洋次監督)で恋する男(沢田研二)と結ばれる娘も、『お受験』(1999・滝田洋二郎監督)で夫(矢沢永吉)と愛娘のために奮闘する妻も、『ホタル』(2001・降旗康男監督)で薄幸ながらも夫に愛され続ける妻も、彼女には役不足に思えてならない。ひそかな攻撃力を備えた田中裕子は、男や子供の陰では光らない女優なのである。

 アニメーションを見れば、彼女の特性はさらに明らかだ。『もののけ姫』(1997・宮崎駿監督)ではエボシ御前の声を演じ、低くよく通る声の威力で一般庶民を圧倒した。『大阪物語』(1999・市川準監督)では、夫(沢田研二)の浮気癖に悩まされる妻の役を得て魅力を放ち、思いを寄せてくる若い男を軽くなぶるシーンに色香を見せた。このとき、男をおののかせる〝瞬き〟は、すでに身についていたに違いない。

 高峰秀子の名著「わたしの渡世日記」に梅原龍三郎画伯が「君の目は大きいというよりも目の光が強いのだな」と高峰秀子を評したと書かれているが、田中裕子も「目の光が強い」のである。そういう似たイメージを持つからこそ、彼女はリメイク版『二十四の瞳』(1987・朝間義隆監督)に起用されたのだろう。この作品の成功うんぬんよりも、当時、田中裕子が大女優・高峰秀子を思わせる存在だったということが重要だ。

 いまや田中裕子は、五十代半ばで女優を引退した高峰秀子が演じ得なかった女の境地を演じるべき女優に成長している。『いつか読書する日』のラストシーン、長崎の町の山腹で朝日を浴びて微笑む田中裕子は、新たな出発点に立った女の意欲を世界に向けて発信するかのようだ。〝瞬き〟という武器を携えた彼女のさらなる快進撃はこれからである。

(2007・7)

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