フク兄さんとの哲学対話(44)ヘーゲル③『歴史哲学講義』の「理性の狡知」とは何か

いまヘーゲルについてフク兄さんと対話を続けているんだけど、前回の『精神現象学』の話が分かりにくかったという声がある。今回はもっと「見通しのいい話」をテーマにして欲しいと、フク兄さんからも要請があった。そこでヘーゲルの作品では比較的すっきりしていると思われる『歴史哲学講義』について語り合うことにした。例によって( )内はわたしの内面の声。

フク兄さん いや~、ひさしぶりじゃのう。前回のなんとか減少額とかいう話は(精神現象学だよ)、そのときには分かったような気になったが、あとで再考してみると、わしは分かるからいいが、読者のみなさんには、ちと混乱していて難しすぎるような気がした(酒を飲んでいる間は分かった気になったという話だろ)。

わたし そこで今回はいきなりヘーゲルの成熟期の講義である『歴史哲学講義』について対話してみることにした。この講義はベルリン大学で1822年から1831年までの間に、冬学期に5回ほど行われていたものなんだ。1831年には亡くなってしまうので、最後の10年の間に優秀な学生たちを相手におこなった講義だね。でも、この講義は史実をもとにして独自の哲学で歴史を解釈したものだから、分かりやすい。

フク兄さん ヘーゲルさんの深淵な哲学に馴染んでいない人には、この歴史哲学の話からしておけばよかったかもしれんのう。

わたし ヘーゲルといえば、昔はマルクスの歴史観の基になっているとされていたので、まずこの『歴史哲学講義』の概要を話して、有名なマルクスの「ヘーゲルの歴史は転倒している」との批判を引用したものなんだ。ヘーゲルが精神の展開として歴史を考えたのに対して、マルクスが階級闘争と経済のダイナミズムで歴史を論じた正しさを強調したわけだね。

フク兄さん おお、わしが旧制高校におったころにも、そうじゃったのう(なに言ってんだ、旧制高校なんかに入ってないくせに)。

わたし ヘーゲルの歴史が絶対精神といわれるものの展開だというのはそうだろうけれど、それよりも、この本のページをめくってみて驚くのは、歴史という時間の流れが、世界という空間に割り振られていることだね。中国、インドで始まって、ペルシャに移る。それがギリシャに行って、ローマについて語り、そしてゲルマン世界でひとくくりにされるヨーロッパになるんだ。このヨーロッパも民族移動やフランク王国の時代から中世に移り、宗教改革をへて啓蒙思想の時代となり、そしてヘーゲルが生きていた近代に繋がっていく。

フク兄さん ほう、東から西へと、世界の歴史というより地域だけ見れば、まるで世界旅行をしているようじゃのう。

わたし そうなんだ。しかも、中国とインドは、ヘーゲルがゲルマン世界とよぶヨーロッパとは繋がりがないとまで言い切っている。中国とインドには彼の考える歴史がないからなんだね。「ペルシャ王国に来て、はじめて歴史とのつながりがでてくる」と彼がいっているように、中国とインドは同じことの繰り返しで、歴史として認められるのはペルシャからだというわけだよ。これはヘーゲルの「アジア的停滞」と呼ばれるように、マルクスにも引き継がれる世界観なんだ。

フク兄さん わしらは歴史をもっておらんのか。ほっほっほ、面白いのう~。ま、ここらでちょっと休んで、どうじゃ、今回も持ってきたんじゃろ。袋があったのう。(やれ、やれ)

わたし 本当はもう少しヘーゲルの歴史について話し続けたいけど、ま、いいか。ちょっと「停滞」して、ほら、うちのカミさんからだよ。(フク兄さんを甘やかしすぎだよな)

フク兄さん おお、静岡ではスタンダードな「花の舞」ではないか。では、さっそくいただこうぞよ。(わ、また大きなドンブリだ)………お、ととととととと、いい香りじゃ。ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、……んんん、ぷふぁ~~~~! 旨いのう。お前も少しばかりどうじゃ(ぼくがもってきたんだけどなあ。しかも、ちいさなぐい飲みだ)

わたし お、とととと、ぐび、ぐび、ぐび、静岡県らしい透明感があるね。さて、「停滞」はここまでにして、ヘーゲルの歴史を続けるけど、この講義をざっと読んでいくと、スペース的にはそれほど大きくないけれど、これは世界史のように見えて、実は、ベルリンを首都として成立したドイツ帝国へと集約されていくドイツ民族の歴史なんだね。ペルシャから始まった歴史が、ギリシャやローマ、そして中世のヨーロッパを経て、宗教改革で真に国家として正しいありかたのドイツが誕生するんだ。

フク兄さん なんだ、そんな話なのか? ちょっとつまらんのう。

わたし いや、いや、あらゆる歴史は書いた者の視点から書かれるわけだから、それほど不思議はないのだけれど、ヘーゲルはそれを徹底して実行しているという感じだね。この講義においても、前回の『精神現象学』と同様に自由が人間すべてに共有されていく過程を念頭においているわけだけど、「ペルシャにおいては一人だけが、ギリシャやローマでは一部だけが、ゲルマン世界ではすべての者が、自由になる」とヘーゲルは述べている。つまり、ペルシャでは王だけが、ギリシャやローマでは市民権を持った者だけが、そしてゲルマンでは国民すべてが自由になるというわけだ。

フク兄さん じゃあ、中国やインドではどうなるんじゃ?(お、するどい)

わたし 中国とかインドとかの東洋世界では、「共同体精神という素朴な意識」だけがあって、自由を持つことはないとされている。皇帝とか君主とかが存在していても、彼らすらもが素朴な意識のなかに埋没しているらしいんだな。

フク兄さん ひゃ~、それはすごいのう。ヘーゲルさん、とんでもない偏見哲学者なんじゃのう。(ま、それはそうだな)

わたし ペルシャ、ギリシャ・ローマ、フランク王国、ヨーロッパ中世、それぞれの時代あるいは地域で育ったものが、ゲルマン世界、とくにドイツで最後に花開く構図だけれど、その場合にも歴史を形成していくのは「理性」だというのが、ヘーゲルの歴史観といってよい。たとえば、宗教改革の時代、もっとも勢力のあった国家はフランスだったのだが、フランスでは宗教改革が起こらなかった。これはカトリックが支配し続けていたからだが、ルターが現れて精神において人間の「内面性」を強調するようになり、ドイツでは内面性をもった人間の時代に入るのだけれど、フランスではそうならなかった。ドイツ人は内面性が豊かだが、いまだにフランス人は表面的なのは、そのためなのだと説明している。

フク兄さん しかし、ではなぜフランスではなくてドイツだったのじゃ?(おお、これもするどいなあ)

わたし そこなんだよね。それは歴史を動かしているものが、フランスを選ばすにドイツを選んでいたということになる。当時はフランスが勢力が大きく、一見最先端にあるように見えても、ドイツは後進的だったお陰で、ルターが登場して宗教改革の中心地になり、世界史の中で内面性を備えた国民となったというわけなんだ。

フク兄さん たいそうな理屈じゃのう。

わたし 歴史には意外な展開がしばしばみられ、また、あとからみると大逆転のような事態がめずらしくない。それをヘーゲルは「理性の狡知」と呼んでいるんだ。つまり、人間の感覚で見れば、これは狡いなあと思わせるような現象がみられるというわけだね。それこそが弁証法によって進展する歴史だということなんだろうね。

フク兄さん それで、そんな狡いことをやっているのは、いったい誰なんじゃ。

わたし それは結局、すべてを見通すことができることになっている神さましか考えられないわけだよね。カール・レーヴィットという哲学史家は、『歴史の意味』という本のなかで、ヘーゲルの「理性の狡知」とは「神の摂理」であって、結局、歴史を動かしているのは神さまということになると述べている。そのとおりで、ヘーゲル自身も『歴史哲学講義』の最後で「歴史的事実がその本質からして神みずからの作品であることを認識する」とまとめているからね。もう少し手の込んだ理性の狡知をあげれば、ヘーゲルは「従僕にとって英雄なし」という諺は「それは英雄が英雄ではないからではなく、従僕が従僕だからだ」と述べている。英雄は善悪を超越したものだからと説明されるが、これも、もし従僕に英雄の真贋が分かったら、従僕にも英雄になれてしまうし、邪魔をしてしまうかもしれないからと解釈できるわけだよね。

フク兄さん ………。(あれ、今回は眠ってしまわないんだ)ちょっとつまらないが、以前わしが言ったように、西洋哲学史が、本当は神さまを中心に回っているということを思い出せば、しごく当然じゃな(それは、ぼくが言ったような気がするけどなあ)。

わたし これで少しは見通しがよくなったかな。ぼくは若いころ歴史哲学入門とかいう本を読んで驚いたことがあった。その本は現代の筆者が書いたものなのに、「私はヘーゲルを信じる」と書いてあったのでびっくりした。でも、これは書いていることがすべて当たっているということではなくて、人類の自由が理性の力で実現することが歴史だと信じたい、というようなことだったんだろうね。つまり、未来は明るいと思いたいということだな。

フク兄さん 今回は前回にくらべればすっきりと対話できたぞよ。ごくろうじゃった。もう、「花の舞」も空になった。ここらですこしばかり、わしの酒を出そうかのう(ええ?「呑」の燗冷ましだったらいらないけどなあ)。

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