フク兄さんとの哲学対話(36)カント⑥『判断力批判』の続きと晩年の闘い

前回はカントの『判断力批判』について語り合ったのだけど、ついついお酒が過ぎてしまって、中途半端なところで終わってしまった。次の日、二日酔いから立ち直ってから、その続きとカントの晩年について論じた。お手数だが前回を読んでいない人は長くないので前回に目を通していただきたい。例によって( )は、わたしの独白。

わたし いや~、昨日はちょっと飲みすぎたので、今日は飲まないで続きをやりたいんだ。昨日も触れたけど、カントの「三批判」と呼ばれる主要3冊の構成を、改めて思い出しておくね。まず、『純粋理性批判』という本は、人間の認識能力について根本的に再検討をして、なかでも自然の法則を知りうる悟性について論じている。また、『実践理性批判』は倫理道徳についても、悟性のような厳密なものではないが、その法則性を推論できる理性があるという結論にいたっていた。

フク兄さん う~ん、二日酔いの頭には難しすぎるような気もするが、そんな話をした記憶はあるな。

わたし この悟性と理性について、カントは『実践理性批判』の最後のところで、「わたしの上には星に満ちた夜空があり、また、わたしの中には行動の導きとなる道徳がある」とまとめていた。さらに『判断力批判』では、この二つの能力をつなぐものとして、「美しい」と感じることができる判断力があるというわけなんだ。この「美しい」は主観的なんだけれど、それでも他の人たちとの共有が可能であるかのように思われるところが、悟性と理性をつなぐ役割を示唆しているということになる。

フク兄さん ううう……、頭がいたくなるような話じゃのう。まだよく酒が抜けておらん。ともかく、「美しい」というのは、ふつう考えられているような感動をこえて、かなり大きな役割があるということだけは、分かったような気がする。

わたし それで今日の話は、2つあって、まず、カントは「美しい」と感じる能力と並んで「神々しい」と感じる崇高の念についても述べていること。それと、こうした「美しい」を作品としてつくる人間は「天才」だけなんだといっていることを、付け加えたいんだね。

フク兄さん なんだか前途多難な感じがするが、まずはお前の話を聞こうぞ。あ、いててて、ちょっと待ってくれ、水を飲んでくるから(しょうがないなあ。とはいえ、僕も久しぶりに二日酔いだから、フク兄さんのことはいえないけど)

わたし じゃ、まず「美しい」と並ぶ「神々しい」と感じる能力なんだけど、これはカントが判断力を論じるさいに、もっぱら自然を対象としていることを思い出しておいたほうがいい。カントによれば「美しい」のほうは夕焼けを見て感動したり、森林の緑をみて感じ入ったりする能力なんだけど、「神々しい」のほうは荒れ狂う海や壮大な雪のアルプスを見て崇高の念をもつことをいうんだね。前者は「十分にここちよい」わけだけど、後者は「恐れ」をおぼえ、場合によれ「怖い」こともある。

フク兄さん おお、そうじゃな、昨日飲んだ「月の井」酒造のホームページには、荒れ狂う海岸のなかに、波に洗われる鳥居が立っている写真が掲載されていて、これは壮絶という感じをもってしまうからのう。

わたし だから美と崇高は違うというわけなんだけど、それがまったく切り離されたものなのか、それとも連続性のあるものなのかは、僕にはちょっとわからないんだ。しかし、いずれの場合も、この自然を成り立たせているものを感じ取ったときの「ここちよさ」と「おそろしさ」であるし、それらを感じることで、悟性と理性はつながると、カントが考えていることは間違いがないと思うんだね。

フク兄さん ふむ、ふむ(あれ? ほんとに聞いているのかな)

わたし これが「崇高」というものを考えていたという補足だね。カントが言いたいことからすると、「美しい」よりも重要かもしれない。もうひとつが天才についてなんだけど、カントは芸術家が自然の美や崇高を模倣する存在と考えているから、見事に模倣できる人間が「天才」だというのは一般の見方と同じなんだ。ところが、その天才の技量というのは、あくまでアプリオリ、つまり天性のものであって、アポステリオリ、つまり修行や鍛錬で身に付くものではないと主張している。この点については徹底していて、いかにニュートンが万有引力を発見した高い能力を持っているとしても、それは悟性と経験によるものが大きく、したがって天才ではないというわけなんだ。

フク兄さん ということは、レオナルド・ダビンチは絵を描いているときは天才でも、ニュートンがリンゴの落ちるのをみて閃いても、それは天才の所業ではないわけじゃな。(あ、ちゃんと聞いているな。ぼんやりしていると思ったのは気のせいだね)

わたし ということになるね。かなり無理があるような気もするけど、カントがあくまで美しいとか神々しいという感動が、自然を介して人間に与えられると考えたことからの帰結だと思うしかないね。さて、最後にカントの晩年について、付け加えておくね。彼は1804年に80歳で亡くなるんだけど、当時としてはかなり長生きだよね。大学での講義も75歳までやっていたというから、すごく丈夫な人かと思うけれど、実際には157センチの小柄で病弱な人だったらしい。

フク兄さん えらいもんじゃのう。

わたし 三批判を書き終えてからも、執筆活動や講義は続けた。というより、実は、三批判というのは、本当に書きたかったのは倫理道徳の決定版となる本だったらしい。それは実際に1797年の『人倫の形而上学』として完成しているが、カント研究者のなかには、あまり評価しない人もいる。もう三批判で力を使いつくしたと感じるんだろうね。

フク兄さん ………(あれ~?)

わたし え~と、しかも、晩年になってから逆に忙しくなったような側面があった。1793年刊の『単なる理性の限界内の宗教』という著作は、神を否定しているとして、プロシャ王フリードリヒ・ウィルヘルム2世に、以降、宗教について書くことを禁じられる筆禍事件を起こすことになる。カントは悟性では人間は神の存在を証明することは不可能だけれど、理性で倫理道徳を推理することができ、さらに、判断力によって偉大な存在を感じることができると考えても、神が存在するとは言わなかった。あくまで、理性によって推論して、こうした複雑だが整合性のある世界ができているのは、偉大で崇高な存在がなければ不可能だというふうに論じたんで、別に無神論者ではなかった。だから、筆禍事件もへっちゃらで、フリードリヒ・ウイルヘルム2世が亡くなると、また宗教についても書き始めているんだね。

フク兄さん …………。(あ、寝ている。ん? お酒の匂いがするぞ)

わたし あ、フク兄さん、水を飲みに行くといっておいて、迎え酒を飲んできたんだなあ。しょうがないなあ。

フク兄さん ………あ、神を否定するやつは、死刑じゃあ!……ZZZZZZZZ、ZZZZZZZ

わたし やれやれ……。カントはかなりの高齢まで現役を続けたけれど、さすがに70歳を過ぎてからは、ぼんやりすることも多くなったらしい。それでも大学の近くに見つけた邸宅を買って、そこで毎回数人を招待して会食したといわれる。お客はほとんどが商人や役人で、いわゆる学者はいなかった。カントは哲学の話題は意図的に避けて、実務に携わる人たちから体験談を聞いて、それに面白くコメントしていたらしい。若いころに食堂で学生たちと議論しながら食事をしたのと、趣は異なっていたけれど似ていて、実に楽しそうだったといわれている。

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